誰がつくった?!大スフィンクス

映画に登場したクフ王のピラミッドは世界の七不思議のひとつです。そしてそれらの世界七不思議は、古代の地中海地方に存在していた巨大な建造物になっています。世界七不思議の中で唯一現存しているのがキザの大ミラミッドです。そして『キザの大ピラミッド』が完成したときの高さは146.6センチメートルという巨大な建造物。この高さは14世紀にリンカン大聖堂がイングランド東部に建てられるまでは、世界の中で最も高い建造物であり、謎を秘めた建造物なのです。この大きな謎を秘めているからこそ、人々を魅了するキザの大ピラミッドですが、ここにはもうひとつ巨大なスフィンクスがまたミステリーとなっています。

ライオンは王を象徴する

上空から三大ピラミッドを見ると右からクフ王の大ピラミッドがあり、真ん中にはクフ王の息子カフラーのピラミッドがあり、一番小さなピラミッドはカフラーの息子メンカウラー王のピラミッドになっています。

カフラー王のピラミッドはちょうど3つのピラミッドの真ん中になっていて、見た目にはクフ王のピラミッドよりも高い印象をもちますが、それはクフ王のピラミッドよりも高い大地に立てたれているため、クフ王のピラミッドよりも高く感じますが、2番目の大きさです。建てられた当時の高さは143.87メートル(現在の高さ136m)で底辺は215.29メートルになっています。そしてカフラーのピラミッドの前にあるのが、大スフィンクスです。

まるでカフラー王のピラミッドを守るように、位置している大スフィンクス…・。この大スフィンクスの定説やその他の説はどのような諸説が出されているのでしょうか?!

大スフィンクス

スフィンクスの意味は「畏怖の父」という意味になります。完全な一枚岩ではありませんが、頭の部分だけが別の場所から運ばれてきた硬質石灰岩で造られていますが、他は一枚岩からの掘り出しとなっていて、一枚岩の掘り出しとしては世界最大の像になっています。全長は73.5メートル、全高20メートル、全幅6メートルの大きさを誇る大スフィンクス。このスフィンクスが建造された当時は、エジプトの青銅器時代より前のため、純銅の鑿(のみ)と石のハンマーを使って、長い時間をかけて彫り出されたと考えられています。

テレビの映像などをみると、スフィンクスがよく修復作業を施されている様子が見て取れます。それには理由があります。太古の時代、スフィンクスやピラミッドがあるギザ大地は海の底でした。そのため台地はもともと塩分を多く含んでいます。そのため毛細管現象によって表面に析出した塩分が膨張します。そのため表面が脆くなって剥離してしまいます。そのためスフィンクスは建造されてから常に、そして現在もこの時間も崩壊し続けています。崩壊し続けるスフィンスクを修復するため、長い歴史の間にも度々修復されています。その修復があればこそ、いまでもかろうじて現存して私たちに歴史を紐とも解く鍵となっているのです。

いつ建造されたのか?

一般的な定説では、スフィンクスが造られたのは紀元前2500年ごろの、第四王朝カフラーの命によって、カフラー王の第2ピラミッドと共に作られたとされています。その説とそれに対する異論が取り出されているのは、スフィンクスもまさしく謎が多いからです。これは自然科学学者やエジプト考古学者など、それぞれいつの時代に作られたのかその主張は様々になっています。

  • 「スフィンクスの顔がカフラーに似ていること」…「現存しているカフラー像とスフィンクスの顔は似ていない。」「カフラーの顔がそもそも不明だ」
  • 「スフィンクスの前足の間から発掘された碑文の最後に「Khaf」の文字があったこと」…・「碑文の文字にカルトゥーシュ(※)がない。王の名かどうかははなはだ疑問」
  • 「スフィンクスの周辺から、第四王朝時代の遺物が発掘されている」
  • 「キザ大地の遺構は、一対の設計になっている。その理由には、カフラー王のピラミッドの葬祭殿からスフィンクスまで参道が延びていることから。」
  • 「紀元前10500年頃に造られたのではないか」…春分の日の朝に、スフィンクスの正面からしし座が登ったから。
  • 「紀元前7000年ごろではないのか。」…スフィンスク本体と周囲の囲いに降雨による浸食が認められる事。そしてエジプトで長い期間に大量の降雨があった時代を考えるとこの期間だ。」
※カルトゥーシュとは?
もともとロープの象形文字で、カルトゥーシュは"取り囲む"を意味している。ファラオの名前を取り囲むことで保護している。古代エジプトで使われていたヒエログリフの文字または記号の1つで、ファラオの名前を囲む曲線のこと。古代エジプトではシェヌと呼ばれる文字。現在でも壁画などでファラオの名にカルトゥーシュを確認することができる。

スフィンクスは歴代の王を見守っていた

スフィンクスの体、全身のすべてを表したのは1926年つまり日本が昭和元年の頃なので比較的新しいといえます。長年砂に埋もれていたからです。このときの発掘に関しては、エジプト考古学博物館フランス人館長のガストン・マスペロの呼びかけによりスフィンクスを発掘するための寄付が集めらたことで、実現しました。

大スフィンクスの歴史は、いつ建造されたのかいろいろ説があるほどはっきりと解明されてはいませんが、長年大スフィンクスは「西方つまり冥界の入口の守護者」として歴代の王に信仰されていました。

アビュドスにあるエジプト初期王朝時代、第1王朝のアハ王の地下墳墓の傍には、アハ王の他に他数の殉死した死体とともに、王の権力を象徴する動物のライオンも一緒に埋葬されていたことが発掘からわかっています。

ライオンと一緒に埋葬していることから、この風習がピラミッドの傍に、人間の頭とライオンの胴体とを合わせ持つ「大スフィンクス」を建造したことと関係があるのでは。と考えられています。

大スフィンクスは、古来から幾度かに渡って砂に埋没することを繰り返しています。大スフィンクスが建造されてから1000年以上後、エジプト新王国時代第18王朝のトトメス4世によって、砂に埋もれていた大スフィンクスは掘り起こされることになり、この時に大規模な修復が行われています。そしてその時に、大スフィンクスの両前足の間に修復をしたトトメス4世の業績を讃える石碑が建立されています。修復された大スフィンクスは鮮やかに塗装されただけではなく、周囲にも風化を防ぐための壁が建てられました。

そしてトトメス4世の大規模な修復活動をしてから、千数百年後のローマの支配下でも大スフィンクスはローマ人によって修復されました。ローマ人による修復では、両前足のブロック積みにその時代の修復の後をかくにんすることができます。1798年にナポレオン・ボナパルトがエジプトに上陸して、ピラミッドの戦いを行いますが。この時にナポレオン・ボナパルトが配下の軍隊を鼓舞した言葉でひじょうに有名なのが「兵士諸君!あの遺跡の頂から40世紀の歴史が諸君を見下ろしている」という言葉ですが、このときの戦場からはピラミッドが遠くに見えるだけでしたので、ナポレオン・ボナパルドは戦場は戦場として、別にギザを訪れています。その時にも大スフィンクスの首から下は砂に埋もれていました。