4名の高名な彫刻家によぅって彫刻帯が施された霊廟

ハリカルナッソスのマウソロス霊廟も世界の七不思議のひとつになります。そしてヨーロッパ圏で使われるマウソレウム:mausoleumという巨大な墓という意味は、この世界七不思議のひとつ「マウソロス霊廟」が言葉の由来になっています。カリアの王マウソロスとその妻アルテミシアの遺体を安置するために造られた霊廟のマウソロス霊廟は、どのようなもの建物なのでしょうか?!

マウソロス霊廟が発見されたのは1857年のときに、C・T・ニュートンが発掘しました。そして発掘によってその設計がほぼ明らかになっています。そして発見されたマウソロス像は大英博物館に現在あります。マウソロス霊廟の大きさは 35m×28mの大きさになっていて、石壇・周柱・ピラミッド型屋根そしてクアドリガ(4頭立ての馬車)などからなっていて、その表面は見事な彫刻を施された大理石で覆われています。

マウソロス霊廟

この霊廟を設計したのは、ギリシア人建築家のサテュロスとピュティオスが設計しました。そして霊廟に豪華な彫刻帯を施したのは、スコパス、レオカレス、ブリュアクシス、ティモテオスという4人の高名な彫刻家です。霊廟はマスソロスが亡くなった後に、その妻のアルテミシアが亡くなった夫のために建造したといわれていますが、実際にはマウソロスが在命中に霊廟の建造が開始されたと考えられてます。マウソロスは、カリア国の首都をハリカルナッソルという現在のトルコ共和国ボドルムに定めました。そして周囲の地域もマウソロスは支配下におさめていました。ハルカルナtゥソルは、アレクサンダー大王がアルケメス朝ペルシアと戦った場所でもあります。

マウソロス霊廟の構成

マウソロス霊廟が完成したのは、マスソロスが亡くなってから3年後そしてその妻アルテミシアが亡くなってから1年後の紀元前350年に完成したとされています。

霊廟を建設するにあたって、妻のアルテミシアは霊廟建設費用をケチることはなく、建築への費用を惜しまずに使いました。彼女は、その当時に最も優れた建築家と芸術家を連れてくるために、ギリシアに使いを送ったほどです。そしてこうして2人の一流建築家のピュティオス、サテュロスが設計を担当することになり、4人の高名な彫刻家スコパス、ブリュアクシス、レオカレス、ティモテオスが霊廟の造営に参加しました。そのなかでも彫刻家のスコパスは、世界の七不思議のひとつでもある「エフェソスのアルテミス神殿」も手がけているので、凄腕の彫刻家だったことがお分かりになるでしょう。

マウソロス霊廟が建てられたのは、町を見渡すことのできる丘の上です。霊廟の工事現場はレンガの壁に囲まれて、建築家たちはその中レンガの壁の中で作業をしました。まず、最初には中央に墓の本体となる石壇が置かれて、ライオンの石造を横に配した階段が石壇に向かって築かれていきました。そして、この外壁に沿って女神や神の像が置かれていき、角ごとには馬に乗った戦士の像がまるで墓を守るように置かれました。この部分が霊廟の第1層になっています。そして第1層の上部には、ギリシア神話や歴史の一場面を描いた見事な彫刻帯が施されました。

彫刻を担当したのは東側がスコパス、北側をブリュアクシス、南側をティモテオス、そして西の彫刻を担当したのはレオカレスでです。東側を担当したスコパスは、ギリシア人とアマゾン族との闘争を描いて、他の3人はラピテス族とケンタウロスの闘争などを描きました。

そして第1層から第2層へと工事は移りますが、第1層から第2層へは36本の柱が上げられした。第2層はどのようになっていたかというと外に露出した円柱の集まりになっています。短い辺に9本ずつ、そして長い辺には11本ずつ柱が配されたと考えられています。そして柱と柱の間には1体ずつの像が置かれて、柱に囲まれた内側には、巨大な屋根を支えるため石のブロックが積まれました。

第3層は、24段にわたるピラミッド型の屋根になっていたと考えられています。そして頂上には、巨大なクァドリガという4頭立ての馬車の像が置かれました。そしてこの4頭立ての馬車には、マウソロスとアルテミシアの像が乗っていたとも言われていますが、いや馬車には何も乗っていなかったという説があり、なにも載っていなかったという説の方が有力になっています。その理由としてあげられるのが、ギリシア世界では主のいない馬車は主の死を意味していたことと、マウソロスとアルテミシアの像は馬車の像のそばで発見されていますが、彼らの像の形が馬車に乗る格好をしていなかったことなどが挙げられます。おそらく、マウソロスとアルテミシアの像は、第2層か第1層に他の像と同じ様に置かれていたと考えられます。