世界の七不思議

とにかく世界にはいくら21世紀テクノロジーだといわれて、お掃除用ロボットが大活躍したり自動的にブレーキがかかる自動車が一般向けに販売されていても、まだまだ謎が多すぎます。イースター島のモアイもそうですが、まだまだミステリーのものがたくさんあります。よくいわれる世界の七不思議ですが、古代の地中海地方に存在していた巨大な建造物のことで古代というのがポイントです。古代の七不思議で現存してるのは『キザの大ピラミッド』だけですが、他にはどのような巨大な建造物があったのでしょうか?!

世界の七不思議とは?!

一般的に「世界の七不思議」はなーんだ!といったときには、紀元前2世紀にビザンチウムの。古代のギリシアの数学者にして旅行家フィロンの書いた「世界の七つの景観」に載っているものをいいます。ただし、フィロンは自分の国の不思議を入れないことに決めているので、フィロンはアレクサンドリアの大灯台は入れていません。一般的に言われている世界の七不思議にはアレクサンドリアの大灯台は含まれています。

ではどのような世界七不思議となっているのでしょうか?!

古代の世界七不思議

ギザの大ピラミッド
…エジプトのキザでこの中で唯一現存しているもの。
アレクサンドリアの大灯台
…エジプトのアレクサンドリア湾岸ファロス島に建造された灯台です。キザの大ピラミッドに次ぐ長命の建造物となりました。
バビロンの空中庭園
…イラクの現バクダットにそれらしき遺跡があります。
ロドス島の巨像
…エーゲ海の南東部にあるロドス島に建造された、太陽神ヘーリオスをかたどった彫像です。
エフェソスのアルテミス神殿
…現トルコ共和国です。現在は原形をとどめていません。柱がいくつか復元されている程度です。
オリンピアのゼウス像
…古代のとても高名で名高い彫刻家ペイティアスによって建造されたものです。
ハリカルナッソスのマウソロス霊廟
…古代のアナトリア半島西部にある古代のカリアの王の墓です。

アレクサンドリアの大灯台

紀元前3世紀頃に建てられたとされているアレクサンドリアの大灯台です。14世紀に起きた2度の地震で全壊してしまいましたが、ギザの大ピラミッドに次ぐ長命な建造物です。大灯台が置かれた場所もまたとても不思議で、アレクサンドリア港の一方の端に、人工の埋め立てで出来上がった半島の突端にあった小さな島です。

アレクサンドリアの灯台の建設が始まったのは、まず最初にナイル河口にアレクサンドリアが建設されたましたが、建設を始めたのはアレクサンドロス3世です。そしてアレクサンドロス3世の死後に、部下のプトレマイオス1世となり、沿岸航行や入港の陸標となるためのものとして、灯台の建設を決定します。紀元前305年頃頃に灯台の建設が始まり、大灯台が完成したのはプトレマイオス2世の代での完成となりました。

灯台の全高は約134メートル(約440フィート)で、建造された当時はこの灯台は『地球上で最も高い人工物』のひとつになりました。灯台の建材に使われたのは現代ではとても贅沢に感じますが、大理石です。大理石をブロック状に切り出したものを積み上げられて作られました。灯台は形状が違う3つのセクションで構成されていて、方形の基層部の中央には塔があります。下層部は四角柱、中層部はひとまわり細い八角柱、上層部はさらに細い円柱形でした。そして頂点には鏡が置かれて、鏡は日中は陽光を反射させて、夜間は炎を燃やして反射させることで灯台として利用していました。

伝説によると、戦時には鏡の反射光を敵の船めがけて照射することで、船が海岸に到達する前に燃やすことができたといいます。いくらなんでも、この灯台が存在した当時の光学技術や光反射技術の水準では、船を燃やすことはまず不可能です。そして他の伝説では、灯台の光は約56キロメートルほど離れた海岸からも、灯台の光を見ることができたという伝説もありますが、こっちの伝説の方はおそらく本当ではないか。と言われています。

796年に発生した地震でアレクサンドリアの大灯台は半壊します。そして1303年と1323年の地震で完全にアレクサンドリアの大灯台は宝庫愛しました。1408年ごろにアレクサンドリアの灯台が置かれていた跡地に、灯台の残骸を使ってカーノト・ベイの要塞が建造されたことで、アレクサンドリアの大灯台は完全に消滅しました。

バビロンの空中庭園

かつては存在したバビロンの空中庭園ですが、もちろん今は現存していません。バビロンの宮中庭園を実現している建物は、福岡に行けば見ることができます。「アクロス福岡」です。アクロス福岡の外観が「これがバビロンの空中庭園だったんだろうなぁ~」と思わせる造りになっていますが、アクロス福岡の外観は、建物の斜面が段々状になっていてそこが全面緑地化されているので、建物そのものが緑に溢れている外観になっています。

「バビロンの空中庭園」ですが、現在のバクダット郊外におそらく「バビロンの空中庭園だったのでは?!」と思わせるそれらしき遺跡が残っています。「バビロンの空中庭園」を造ったのは、紀元前600年頃のことで新バビロニアの王で旧約聖書にも登場するネブカドネザル2世が、メディア出身で砂漠の国に輿入れするのを嫌がった王妃アミュティスを慰めるためにバビロンに建造したとされています。

ネブカドネザル2世は、その治世中に大規模な建築事業を行ったことでも知られていますが、「バビロンの空中庭園」は宮殿の中に作った高さ25mになっていて、5段の階段状になっているテラスに土を盛って、水を上まで汲み上げて下に流せるようにして、樹木や花などを植えていました。あまりの巨大な庭園になっていたことから、遠くから見ると、まるで空中に吊り下げられているように見えたといいます。空中庭園の一番上の面積は、60平方メートルだったと推定されています。そしてこの「バビロンの空中庭園」は紀元前538年にペルシアが侵略した時に破壊されたといわれています。

空中庭園では水をくみ上げなくては、植物や花に水をあげることはできませんが、どのような方法で水をくみあげていたかについては、らせん水揚げ機などがつかわれていたのではないのか?!とも言われていますが、方法について決定的な説明はありません。